お祭り屋台で見かける「のぼり」の特徴と効果

お祭り

お祭り屋台に欠かせないのが、のぼりです。
祭りの縁日で立ち並ぶカラフルなのぼりをながめるだけで、
祭り気分も盛り上がり、どれから食べようかと楽しくなってしまうものです。

お祭り屋台に掲げられるのぼりの特徴は、何と言っても食べ物系が目立ちます。
大きさは定番サイズの幅60cmの高さ180cmサイズ、人混みのなかでも十分に
目をひくのです。

形状も一般的な桃太郎旗と呼ばれるタイプが多くみられますが、
プリントされているデザインが多彩なことが特徴です。

シンプルなデザインに食べ物の名前をプリントしたものは分かりやすく、
「お好み焼き」、「焼き鳥」、「焼きそば」、「たこ焼き」など人気の屋台は、
具体的に食べ物の画像が入っていなくても十分に、集客効果が見込めます。

屋台といえば、これという印象が強い食べ物なので、お客もお腹が空いたときに
真っ先に探す屋台だからです。

独自性をアピールするのであれば、「広島風お好み焼き」や「関西風お好み焼き」
など地域性と特徴アピールしたものや、「手作り」という単語も人目をひきます。

屋台

食べ物の画像が大きく入った、カラフルなデザインも食欲をそそります。
定番の屋台メニューよりも個性的なタイプのメニューであれば、何かしらの
アピールポイントやシンボル的デザインが入っているほうが興味をひきます。

若い世代に人気のケバブやクレープ、ソフトクリームなどはポップでカラフルな
デザインなら、お子様や若い人の興味をひきやすいのです。

大勢の人が訪れるお祭り屋台ののぼりは、人混みのなかで目当ての屋台を
探すために欠かせない目印なのです。

「グラフィックデザイン」はいつ生まれた?定義とは?

多くの方がよく耳にするグラフィックデザインは、1922年にウィリアム・
アディソン・ドゥイギンスによってその原則が確立されたものなので、
歴史的にはまだまだ浅い分野だといえます。

しかしグラフィックデザインが目指しているところの視覚的表現を
形作ること自体は、それ以前にも数多く残されている歴史的な建造物
などにも少なからず見られます。

たとえば古代バビロニアにおいては建設に携わっていた職人たちが
楔形文字を使って、レンガなどに君主や建設者の名前や当時の高官に
ついても書き記しているのです。

また古代エジプトでも象形文字を用いてファラオの偉大さを宣伝しており、
かの有名なロゼッタストーンにはプトレマイオスを「太陽の息子であり
月の父であり人々の幸福を保つ者だ」と記しています。

これらと20世紀からのビジュアルコミュニケーションには大きな違いは
見られず、ウィリアム・アディソン・ドゥイギンスに原則が確立される
前から人間が視覚的表現を形作っていた証拠と考えられるところです。

屋内で使用するのぼり旗の選び方

効果的な宣伝をして集客効果を高めたいと思った時に役に立つ
アイテムと言えばのぼり旗ですが、選ぶ時には色々と押さえて
おいた方が良いポイントがあるものです。

デザインにこだわることはもちろんですが、どこで使用するか
によっても、選び方が変わってくるものです。

デザイン
例えば、屋外で使用する場合には、風が強くて倒れる恐れが
ありますから、安定感のある注水台を選んだ方が良いです。

一方、屋内で使用する場合であれば、風雨にさらされるような
ことはありませんから、そこまで安定感にこだわる
必要はありません。

なお、屋内の場合には別の部分を気にする必要があります。

色々と商品が並べてあったり、棚や椅子が置いてある中で
のぼり旗を設置するとなると、あまり大きなサイズを選択
してしまうと邪魔になってしまいます。

ですから、お店の規模に合わせて選ぶようにすると良いでしょう。

幸い、のぼり旗にはスリムなタイプも存在しますし、卓上用の
かなり小さなタイプもありますから、こういったタイプを上手く
活用すると良いでしょう。

活用

歌舞伎で用いられる「勘亭流」書体はなぜ誕生したのか

歌舞伎のしなやかさと舞を連想させる勘亭流の文字は、1779年(安永8)に
御家流書道指南であった岡崎屋勘六が9代目の中村勘三郎に依頼されて
看板を書くときに作り出した書体です。

御家流に浄瑠璃本の文字などを加えるという手法は、鳥居派の絵とも
非常に相性がよく、岡崎屋勘六が俳号「勘亭」を署名したところから
勘亭流と呼ばれるようになったという経緯があります。

ただし中村座正月興行の絵看板に外題揮毫(勘亭流創始)とはなっていますが、
一方でおよそ50年ほど前よりこの書体が見られるとも伝えられています。

しかし時代と共に改良されながら今日まで引き継がれているのは、
勘亭流が肉太で丸みを持ち、内側に向かってはねる形が客席を隙間なく
埋める縁起の良い文字だとされているからに他なりません。

また一般的な書道では重ね書きはタブー視されているのですが、
勘亭流では芝居に来るお客様に見てもらうことにこだわりがあるため
補筆は通常の書き方なのです。

桜まつりののぼりは雰囲気に合わせた色で盛り上げて

寒い冬が終わり春を告げるころになると、桜の季節になります。

家に閉じこもって過ごしていた冬も終わり、春の訪れは気持ちも明るく
なりますが、私たち日本人にとっては桜の花は格別の意味を持っています。

桜

1年間にたった1週間ほどしか咲かない桜の花は、その1週間の間に
すべての美しさで人々を楽しませてくれ、そして、散り際も見事です。

そうした、日本人の心に欠くことのできない桜の季節には、
日本のいたる所で桜まつりが開催されます。

多くの人が咲き誇る桜の下で、家族や友人たちと花見をしたり、
宴会を楽しんだりしますが、お祭りに欠かすことができない道具と
しては、雰囲気に合わせた色ののぼりといえます。

盛り上げる

のぼりは今では、商店街をはじめ街のあちこちで見かけますが、
のぼりは雰囲気を盛り上げてくれる重要なツールということができます。

のぼりは、専門の業者に頼めば1本からでも注文を受けてくれる
ところもあり、お祭りには必須のアイテムです。

戦いの中で生まれた「のぼり旗」|時代とともに用途も変化

店舗やイベント会場でよく見る「のぼり」には、長い歴史があります。

平安時代に流れ旗として使われたことが始まりで、源氏と平氏の
最後の合戦として知られる「壇ノ浦の戦い」ではそれぞれが
紅白の旗を掲げていました。

縦長という形状は現在と共通ですが、色は一色だったようです。

旗を掲げていたのは、敵と味方を識別するためです。
戦場では一瞬の判断が命に関わるので、瞬時に見分けられる
ことが必要です。

流れ旗はひらひらしているところが特徴ですが、敵味方が入り混じる
合戦場では、あまり動きの多い旗は見づらいという欠点がありました。

室町時代に入ると同じデザインを用いる者同士の争いが生じるように
なり、自軍なのか敵軍なのかを見分けることができなくなったそうです。

ひらひらしている流れ旗は見づらいので、室町時代にのぼり旗が登場します。
戦国時代には自軍の家紋を入れ、背に挿して戦う光景が見られるようになります。

流れ旗と比べて見やすいだけでなく、管理も簡単です。
そのため戦国時代を経て、幅広く使われるようになりました。

オリジナルののぼり旗は看板よりも目に留まりやすい

オリジナルの
オリジナルののぼり旗は、看板よりも目立つことで多く利用されています。
まず理由として、風にはためくことにより動きがあることが挙げられます。

人は動きのあるものに注意が向きやすいものです。
風で動いているのぼり旗には、自然と視線が集まることになります。

またカラー写真を使うなどによってデザイン面でも看板よりアピール力が
あります。

オリジナルのデザインであれば自由に構図や色合いなどを決めることが
できます。

また費用も安価なので、複数作成して何本も立てておくことができます。
数が多ければ、それだけ注目度は高まります。

目立つ

上手くお店へ誘導するような配列で立てておくことが可能です。
また、設置場所も柔軟性をもって選べるので、より目立つところに
置いておくことも可能です。

オリジナルののぼり旗は高さも高くできるので、遠くからでも
目立つようにできます。

このように様々な工夫によって集客につなげることができます。
また古くなれば簡単に作成できるので、常に新しいものを
立てておくことができます。

あるいはデザインを変えることによって、注目を集めやすくできます。
オリジナルののぼり旗は通販で頼むとかなり安く作成することができます。

設置してから通行人の反応を見て、あまり宣伝効果が無いとわかれば
別のデザインで試すといったことも可能です。

様子を見ながら集客力につなげるデザインを模索し、
すぐに作り変えることができるのも看板にはできない利点となります。

縦長の「のぼり旗」は日本だけ!?誕生は平安時代の戦

日本では道を歩けばよく目にすることがある縦長のぼり旗は、実は海外では
ほとんどお目にかかれない日本特有の旗の形といっても過言ではありません。

なぜかというとそれは日本では文字を縦書きする文化や習慣があるために
縦長ののぼり旗にも文字を書き入れやすく、他国のように横書きだけの
文字のように見にくくなることがなかったためなのでしょう。

そもそも旗が用いられるようになったのは平安時代、自軍の目印として
作り出されたことに端を発します。

それが室町時代、現在のような形でのぼり旗を作りよりいっそう目印として
目立つように改善されたというわけなのです。

その後戦国時代経て耐久性を上げるために工夫がさまざまになされましたが、
時代の流れで必要がなくなると現代に見られるような集客の道具に変遷した
ということです。

生地に対する好みも日本と海外では大きな違いが多く、薄手で風になびく
布地を好む日本人とは対象的に海外では厚手の丈夫な布が好まれます。